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東京高等裁判所 昭和34年(う)360号 判決

控訴人 被告人 林純二郎

弁護人 石井錦樹

検察官 大平要

主文

本件控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は、被告人に負担させない。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石井錦樹及び被告人本人各作成名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、次のとおり判断する。

弁護人の控訴趣意について。

原判決書によれば、原判決は、その主文において、「被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処する。右罰金を完納することができないときは、金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」旨を言い渡し、その理由において、罪となるべき事実として、「被告人は、外国人(韓国人)にして、昭和二一年八月頃以来今日に至るまで本邦に在留しているものなるところ、昭和二一年八月頃から昭和二四年末頃まで静岡県賀茂郡稲取町に居住し、その頃から昭和三一年八月頃まで同郡城東村奈良本に居住し、その頃から今日まで同郡稲取町四〇〇番地に居住するものであるが、居住地町村長に対し、昭和二二年五月二日外国人登録令施行の際、同令附則第二項、同令第四条所定の登録の申請をなさず、昭和二七年四月二八日外国人登録法施行の際にも、同法第三条所定の登録証明書の交付の申請をなさずして起訴の時(昭和三三年一二月四日)に至つたものである。」旨の有罪事実を認定判示し法令の適用として、外国人登録法第一八条第一項第一号、第三条第一項、その他の法条を適用しているのであるが、これに対して弁護人の所論は、戸籍は、日本国籍を有する者のみを記載するものであるから、戸籍に記載ある者は、日本国籍を有することの推定を受けるものであつて、戸籍の記載が法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏があることを発見した場合には、その記載を訂正すべきか否かは、利害関係人の申請によつて、家庭裁判所が判断すべきものであることは、戸籍法第一一三条により明らかであるところ、本件の場合、被告人が戸籍に記載されていることは、記録により明瞭であるから、他に有力な資料があつて、被告人の国籍の有無に疑問を持たれていても、利害関係人たる検察官の申請により、家庭裁判所が判断を下すまでは、被告人が日本人でないとの断定を下すわけにはいかないものである。しかるに、原審においては、右法定の手続をふまずして、一片の婚姻届及び証人の証言により、濫りに判断を下して、被告人を外国人であるとの推定によつて罰条を適用したものであつて、家庭裁判所の専権に委ねられた権限を侵犯したものといわなければならない。本件は、すベからく検察官より家庭裁判所に申請して、戸籍が法律上許されないものであることの判断を仰ぎ、その確定を待つて戸籍を訂正した上で公訴を提起すべきものであるのにかかわらず、検察官は、右手続を怠つて、濫りに本件を起訴し、原審は、軽卒にも、家庭裁判所の権限に立ち入つて判断を下し、原判決を言い渡したものであつて、原判決には、右の点につき訴訟手続に法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張する。よつて考察するに、戸籍の編製は、日本人のみに限られ、出生の届出により戸籍の記載をするのは、出生により国籍を取得した子に限り、また、帰化により国籍を取得した者については、帰化の届出により戸籍の記載をするが、日本の国籍を取得しない者は、就籍することは許されず、また、国籍を喪失した者については、国籍喪失の届出または報告によりその者を戸籍から除籍するものであつて、戸籍は、民法上の身分関係のほかに、国籍の有無及びその取得、喪失の関係をも公証する機能を持つものであるから戸籍に記載のある者は、一応日本国籍を有することの推定を受けることは、所論のとおりである。しかしながら、本来戸籍は、民法上の身分関係並びに国籍の有無及び得喪関係の公証を目的とするものであつて、戸籍の記載は、国籍得喪の効果を創設する作用を持つものでないことは勿諭、人の身分関係並びに国籍関係の公の証明資料ではあるが、一応の証拠資料たるに止まり、反証を許さないものではなく、公信力は持たないものであるから、ある人が日本の国籍を有する事実を認定するには、単に、戸籍に記載があることのみが証拠となるものではなく、他の証拠をもつて判断の資料とすることもできるものであり、また、戸籍の訂正については、戸籍法第一一三条以下に家庭裁判所の許可を必要とする旨の規定があり、戸籍事件の不服申立については、同法第一一八条に家庭裁判所の専属管轄を認めた趣旨の規定等が存するけれども、ある人が日本の国籍を有するかどうかの点につき実体的判断を下すべき事件については、所論のように、家庭裁判所に専属管轄を認めた規定や、戸籍の訂正をした後でなければ、公訴を提起することができないことを定めた規定は、どこにもみあたらないのであるから、右のような事件については、戸籍の記載の有無にかかわらず、他の証拠によつて判断を下すも妨げなく、また、その戸籍の記載に誤謬がある場合に、戸籍訂正の手続をした後でなくとも、公訴を提起することはさしつかえないものといわなければならない。これを本件についてみるに、記録第四一丁以下の戸籍謄本には、千葉県館山市布良九二六番地に林徳松なる者の本籍が存するかのような記載があつて、被告人は、右林徳松とは自分である旨主張するのであるが、しかし、原判決の挙示する関係証拠を総合するときは、右は、昭和二一年一二月ごろ、当時静岡県賀茂郡稲取町役場の戸籍係書記をしていた中村岩男なる者が、その上司たる同町助役鈴木清六の命により、法定の要件を具備しないのにかかわらず、不正の手段により、内容虚偽の戸籍原本を作成した上、その後、これを右千葉県館山市に転籍の手続をしたものであつて、正当な戸籍の記載でないことが認め得られるのであるから、かかる虚偽の戸籍の記載のみによつては、被告人が日本人であることを認め得られないことは、論を待たないところであるばかりでなく、原判決挙示の各証拠を総合考察するときは、被告人が外国人(韓国人)であることをも含めて原判示事実のすべてを肯認するに十分であつて、本件に現われたすべての証拠をもつてしても、未だ被告人の前示主張を認めて原審の認定を覆すに足りないのである。そして、検察官が本件の起訴当時、前示戸籍の記載につき法定の訂正手続をしていなかつたことは、所論のとおりであるけれども、かかる戸籍の訂正手続が本件公訴提起の要件でないことは、前述のとおりであるから、検察官が右の訂正手続をすることなくして本件公訴を提起したことには、別段の違法は認められず、原審が本件公訴事実について審理の結果、原判示のような判断をしたことも、また前示の理由に照らしもとより正当であつて、原判決には、この点につき所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるものということはできない。この点の所論は、採るを得ない。

なお、所論は、被告人は、帰化申請の資格を有するものであから、検察官の起訴前に、被告人に対し、帰化の途あることを教示し、国籍の実体と戸籍の記載とを符合せしめるようにすべきであつた旨、並びに右戸籍に虚偽の記載をした戸籍吏及びこれを依頼した被告人の行為は、憎むべしとするも、これは、戸籍法第一二四条により処断すべきものであつて、外国人登録法の要求するところではない旨を主張するのであるが、いずれも、ひつきよう事情を具陳するに過ぎず、被告人の原判示所論が昭和三一年五月七日法律第九六号による改正前の外国人登録法第三条第一項に違反し、同法第一八条第一項第一号に該当することは、明らかであるから、原判決がこれら法条を適用したことは、正当であつて、原判決には、右の諸点についても所論の違法は存しない。それ故、この点の所論も採用しがたく、論旨は、すべてその理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 鈴木良一)

弁護人石井錦樹の控訴趣意

一、我国戸籍法は明文の規定はないけれども、日本国籍を有する者のみを記載するものであることは、法律全体の趣旨から見て明かである。従つて戸籍に記載ある者は日本国籍を有することの推定を受ける。而して戸籍の記載が法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若は遺漏があることを発見した場合には、その記載を訂正すべきか否かは利害関係人の申請によつて家庭裁判所が判断すべきものであることは同法第一一三条により明かである。右手続により家庭裁判所の判決が確定するまでは、他の資料によつて国籍に疑ある者であつても尚日本国民たることの推定を排除された者とすることは出来ない。

二、本件の場合被告人が戸籍に記載されていることは事件記録により明瞭であるから、他に如何に有力な資料があつて被告人が国籍の有無につき疑問を持たれていても、利害関係人たる検察官の申請により家庭裁判所が判断を下すまでは、被告人が日本人に非ずとの断定を下すわけにはいかない。

三、然るに原審は右法定の手続を踏まずして、一片の婚姻届及証人の証言により濫りに判断を下して被告人を外国人なりとの推定によつて罰条を適用したものであつて、家庭裁判所の専権に委ねられた権限を侵犯したものと云わなければならない。

四、本件は須らく検察官より家庭裁判所に申請して、戸籍が法律上許されないものであることの判断を仰ぎ、その確定を待つて戸籍を訂正し然る後に公訴を提起すべきものである。然るに右手続を怠つて濫りに本件を起訴し、原審は軽卒にも家庭裁判所の権限に立ち入つて判断を下し、仍つて原判決を言渡されたことは明かに法令の手続違反の違法がある。仍つて原判決を取消し、被告人に対し無罪の御判決を賜らんことを求める次第である。

五、尚本件事情に付て一言すれば、被告人は昭和一五年以来日本人たる林安子の夫となり、同二一年以来本邦に居住しているものであつて、之を国籍法第五条第一号「日本国民の夫で引続き三年以上日本に居住又は居所を有するもの」の条件に比較すれば、優に帰化申請の資格を有する者である。而も被告人は四人の女子を有し、その三人までは日本国民として義務教育を受けつつある。今之を僅かに帰化申請の手続を怠つていたと云うだけの理由で本件有罪が確定するに於ては被告人が永年築き上げた本邦人としての基礎は失われ生活に窮するは勿論、無辜の女子達の不幸は火を睹るよりも明かである。

六、本件は検察官の起訴前に被告人に対し帰化の途あることを教示し依つて以て国籍の実体と戸籍の記載とを符合せしめるように取運ばれることこそ、人情に適したる御措置と云うべきである。戸籍に虚偽の記載をした戸籍吏及之を依頼した被告人の行為は憎むべしとするも、之は戸籍法第一二四条により処断すべきものであつて、帰化の条件充分にして且帰化の意思を有する者を処罰することは、一時的滞在の外国人を取締らんとする外国人登録法の要求する所ではない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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